11月最後の日曜日。今年もこの日をもって会計年度の終わり。
家族で出かける用もないので、夕方、一人でヘルメットだけをもって外に出て二時間ほど走ってきた。隣の市にある小さな図書館。なぜ図書カードもないのにそんなところに向かったのか分からない。十年位前に、夏のロシアの風景を写した白黒写真の横にソルジェニーツィンの文章を載せた文学アルバムのようなものをそこで見たことがあった。けれどもそれが見たかった訳でもなかった。それどころか、目的地に着く前に西空の夕映えも消えてしまい、その後は足先から冷えきった体を持て余して、尿意だけを感じながら結局一度もバイクを下りることなく帰ってきた。
そして慌てて家のトイレに駆け込んでから携帯を見ると、妻からのメールが入っていた。何だろうと見てみると、スクロールしてもスクロールしても終わりが見えない。お疲れさまという言葉、ありがとうという言葉。そして息子のこと。
初めて息子が「マイクラ」というゲームをやったとき
「ダイヤモンド(一番強い防具)で全身をガチガチに固めて、頑丈なおうちの窓からキョロキョロ。ほんの少し外に出て、すぐに走って撤収して戻ってくる…(笑)」
というシーンを彼女は見ていたそうだ。そこに、ある性格を与えられて今9才という年齢を生きている子どもの心の風景が垣間見られたような気がする、と彼女は書いていた。
一年のときは、平仮名片仮名もわからずに入学し、環境にも慣れなければならなかった。二年のときは、環境には少しは慣れたものの、先生のペースについていけなくて、N君の対応にも苦慮し。三年、少しずつ休み時間のドッヂボールにも参加できるようになり…
生まれ落ちた仔馬が立ち上がり、乳を飲んで、駆けだせるようになるまでに順番があるように、それぞれの年齢の子どもたちが各々の課題に向き合っている中で、9才という年齢は真正面から自分自身を見つめるにはまだ早いのかもしれない。ひとりっ子のメンタルというのも、私たちにはよく分からない。それでも少しずつ自分の足場を踏み固めて外へ出ようとしている子どもの心の風景を、外目から伺いながら一緒に想像して頑張っていこう、きっと大丈夫、ということが書かれてあった。そして最後に
「あら、おかえりなさい」
ちょうど僕がバイクで走ってる時間を費やして書かれた手紙。
人が大宇宙空間の一点であってみれば、人の軌跡も文章も、か細い線として進むしかない。けれどもどれほど自由な空域をそれは与えられていることか。群れ立つ鳥の軌跡が大樹の周りで交錯するように、人と人の線が交錯する。時が経ち、いつか遠くからその無数の織り目を眺めたとき、一体どんな形が私たちの視野のなかに浮かび上がってくるのだろう。

小学生への読み聞かせの勉強会で、先輩ママたちが神谷美恵子について話しているとき、上沼恵美子の顔が浮かんできて仕方がなかったという妻だけど、雑念を克服する中でこんな話を耳にとめてきた。
神谷美恵子が翻訳したある外国詩人の詩のイメージによると、子どもが矢だとすれば、親は弓なのだそうである。そう聞くと、弓を引き絞るのも親の仕事と思いそうだがそうではなくて、それは《大いなる力》がやるのだそうだ。それがどんな力であるかはめいめいが思い浮かべればよくて(人が望まない雨を降らせ、人が期待しない晴れ間をもたらす摂理に当てはまる名詞を。つまり一先ずはどうでも良くて)、ポイントは親が弓という物として、ただ《在る》に過ぎないということだ。
人々が詩句の形に表現されることを望む親子のイメージの枝葉を切りつめると、このイメージは、親は導くことも、道を指さすこともできないと教える。できるのは逆方向に引かれる力を受けとめること。矢の底を当てられ、引きちぎられないように持ち応えること、弦を引っ掻く傷の痛みに矢の中の強張りを感じること…。
親のみならず、一体何人の弓に番われてギザギザとこの街路を転がってきたのか。

金曜の夜。テレビをつけ、チップスターを口に運びながら、妻とささいな話をした。
今日、区の公会堂で地域の学校から小学生が集って音楽会が行われたらしく、息子がそこから持ちかえってきたという土産話。
ステージに上がったら客席の中に幼稚園の旧友が七人も見つかった、J君はステージから手を振ってくれた、他の小学校の合唱を聞いたR君が感動のあまり涙を流しながらも「ヘンな名前の学校のくせに」と毒づいていた、等々。
寝る前は、布団の上に幼稚園のアルバムを広げてせわしくページをめくっていたって。「こいつは云々、あいつは云々」。乱暴な言葉遣いは、きっとよみがえった思い出の温かさの裏返し。
ふと見ると、機嫌よく話していた妻の襟元からチップスターの破片がボロボロとこぼれ落ちていてそれを咎めた僕に対して妻が言い返した言葉がふるっていた。
「ハトが来たら食べてくれるさ」
何て甘い言葉だろう、自分にも人にも動物にも。そんな風に命と接していけたら。

「明日、もう運動会か」と独り言を言いながら息子が学校へ出て行った。「まぁ同じことをやるだけだけど」
小学校に入って三回目、正直慣れたり飽きたりしてきた部分もあるのだろう。それに加えてソーランもかけっこもリレーも、このひと月ずっと学校で皆と練習してきたという自信の蓄え、成るようにしか成らないという開き直りもあるのかもしれない。とはいえ、全力をしぼり出すことが強いられたうえで、はっきりと勝負が決する勝負事、そこから尾を引く浅ましいまでの感情の動揺は、先々週、試しに出場した地域の運動会で身につまされた。あの日は大人たちの方がよほど落ち着きがなかった。競技の前も人だかりの中でそわそわして、終わったら階謔、おべっか、無駄話で感情の後片付け。なあんだ、いざとなったら子どもたちの方が堂々としてるじゃないか。大人たちよりずっと天候不順な心を抱えて、沸き起こる嵐を日々、逞しく受けとめてがんばっているのだ。
明日は運動会。午前中は家にいて、カメラを取り出して動作を見たり電池の残量を確認したりした。妻は横に新聞紙を広げて、包丁で明日のお弁当のために栗の殻を割っている。「去年お母さんが炊いてくれた栗ご飯、お母さんの手が悪かったから、お父さんが手伝ってくれたんだよね」。僕はそれは覚えていなかった。今年は妻のお母さんが体調と仕事の関係で来れないから、それを寂しいなとは思う。五年間、毎年金曜日の夕方にやって来て、腕をふるってすき焼きを作ってくれた。狭い台所で忙しそうに動く母子は生き生きとして見えた。「去年までずっとこの日はママが来る前に掃除をしてたから、今日も午後にちょっとやろうかな」
昼食はテレビを見ながら二人で食べた。期せずして見始めたのは、太宰の『津軽』を扱ったNHKの番組。この小説、ラストでたけという乳母との再会があるのだが、その舞台は故郷の学校の運動会なのである。

その学校の裏に廻つてみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。あちこちに白昼の酔つぱらひ。さうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋がぎつしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなつたと見えて、運動場を見下せる小高い丘の上にまで筵で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、さうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。
(太宰治津軽』)

子どもの頃は運動会を悲しいとも美しいとも思わなかった。あの頃は僕たちにも大人にはない強さがあったからなのだけど、その強さがいつの間にか無くなって、しかもそれはもう二度と取り戻せないと知ったときから、風景の色が少しずつ変わってきた。色褪せてくるもの、陰を帯びてくるもの。反対に、生きていることが当たり前じゃなくなったときから、それでも(時には)みっともなく生きていく者への褒美として、世界の方から送られてくる意味のある信号。
万国旗やお座敷、お弁当。それらに秘められていた予想だにしなかった美しさをも、僕らは受け止める。呆然、夢見るやうな気持で。

7月某日。
夏休みが始まったばかりの暑い日曜日、野球をするために近所のいつもの場所まで歩いた。学校の横の下り坂に沿って一段下がったところにあるグラウンドで、学校とは反対側の周囲に高いフェンスが張ってある。網の向こうには静かな民家が立っている。
丈高い草の生えたスロープを下りて内野の方へ歩きだしたとき、妻が小さな声を上げた。「あっ」
「すごい入道雲
彼女が入道雲の話をするのはいつものことだ。夏空の中にもくもくと元気に沸き立つあの形がお気に召しているのか、買い物の帰り道だろうと、特急電車の中だろうと、目ざとく見つけてはいちいち教えてくれる。それは東京上空の雲だったり、ビルを越して見える大阪湾上の雲だったりする。
仰ぐように学校の方を振りかえると、校舎の上にそれは見えた。いつもは挨拶程度に見遣るだけの僕も息子もこの日はしばらく目が留まった。校舎の幅よりもずっと大きく広がっている。スロープが急で角度がついているので校舎に隠れて下の端が見えない。てっぺんには、高さに負けて崩れた不規則な柱のような形が並んでいる。まぶしい空に白い光が潰れるように重なって、雲は背後というよりも校舎の上に重く圧しかかっているよう。
あの雲はどのくらいの距離にあるのだろう。風はなく、グラウンドにはいつものうんざりするような草いきれがまんじりともせず漂っている。これから二時間はとめどなく汗を流しながら照りつける日差しの中での運動が続くのだ。けれども校舎の上の雲を見たあとにグラウンドに目を移すと、風景の中に何かしらの不確かさが入り込んだような気がした。今空気や光が動かないのも、あの雲によって決められているとでもいうような。風を立たせ、グラウンドを秋の景色に変えるのも、あの雲の気持ち一つだというような。普段は目に映らない何か巨きなものの力の加減やバランスが、風景と生活を決めている…
ああ、と思う。これこそ希望と不安の正体じゃないか。そよ風の始まりを感じるから、苦しい時の目覚めに一瞬の安堵を抱くのだ。いつか雲が来ることを知っているから、平穏だった日の夜でも狂おしく切ないのだ。逆に少なくとも僕の絶望や退屈は、そういう雲への畏れを失くした状態だった、どんな苦しいときであっても。今だってそうだ。
この世界の中で起きていることの、本体は何なのか。妻はたぶん入道雲と言い、今の僕なら火星という。昔のヘブライ人だったら…
夏の風物。人に教えてくれる季節。

横浜創学館-鎌倉学園戦を見に行ってきたよ。
応援していた鎌倉学園の勝利も、楽器が加わってちょっぴりカッコよくなった応援団もよかったけど、試合前と九回最後の攻撃前、対面のアルプスで爆発した創学館のブラスバンドが美しかった。『人にやさしく』が横浜スタジアムで聴けるなんて。

人にやさしく
してもらえないんだね
僕が言ってやる
でっかい声で言ってやる
ガンバレって言ってやる
聞こえるかい
ガンバレ!
『人にやさしく』/ THE BLUE HEARTS

名無しの774 on Twitter: "2018.7.26
vs鎌倉学園

#創学館 「#人にやさしく」… "