ごく簡単に。
今日は妻のお母さんの最後の出勤だった。父を亡くした十八才から七十二才まで五十四年間(自分の人生はまだその年数にも達していない)。
自分の足で踏んだミシンで服を届け、弁当を売り、病院の患者の食事を作って、世の中のための仕事を果たした。家のことは、世間から受け取ったお金で切り盛りした。降って湧いたいくつものゴタゴタも細くて小さな身体の屋台骨がすべてカタをつけた。さずかった命は立派な二人の娘になって世間に帰っていった。
妻は小さい頃、一度もお母さんに足を止めて話を聞いてもらった記憶がないらしい。抱っこをしたり一緒に遊んだり、そういう親として一番おいしいところは全部夫と自分の親に譲ってしまっていた。娘とゆっくり話したいという気持ちを押し殺さなければとてもやっていける気がしなかったのかもしれない(対照的だった自分の境遇を、僕は感謝しなければならないだろう)。
職場の病院を出るときにはお餞別の花束があった。事務の人、リハビリの人、院長、もちろん厨房の人もみんな表に出て見送ってくれたらしい。なんだ、職場の人、良い人たちじゃないか。真面目で忍耐強くて、小心だけど人にやさしい働きぶりが目に浮かぶ。お母さんの心意気がみんなに通じていたのだ。そう、あの人の心意気はいとも簡単に伝わる。僕が友達に「七十過ぎてまだ働いてはる」と聞かせると、友達の顔には決まって「ほぉー」という表情が浮かんだ。そうやって素直に感心してくれるのがうれしくて、この数年間自分のことでもないのに何度自慢して回ったことか。
休むことが体に馴染んでいない人だから、一息ついたらまた何かを見つけて取り組んで、周りの人を励ましてくれるだろう。何事にも一生懸命、やっちゃり精神の献身一途。彼女のそんな生き方を、世間に出てからも手を携えて陰で支えてきた二人の娘にも感謝。