親が諍いをしていると、子ども部屋のおもちゃの音が止む。一呼吸二呼吸の間をおいて、足音がのしのしと廊下を上ってくる。小さな影は男親の足元で止まり、両手を伸ばして腰のスボンの生地を掴む、それが仇敵の胸倉であるかのように。そして狙いが定まったら、あとは蹴る、蹴る、蹴る。「お話をしてるだけだよ」という言い訳も、大げさに「痛い!」と叫ぶ道化も、この戦士には見え透いている。目的は一つ、男親を撃退し女親を守ること。「蹴るのはダメだよ」、「蹴られたら悲しいよ」。捨て台詞を残して男親はあえなく自室に下がり、寝転がって天井を仰ぐ。ドア越しに聞こえる、母のたしなめる声。「父ちゃんがいけないんだよ!謝らないよ!」という男の意地。
親の心子知らずという言葉があるが、僕は全くそれを信じない。子どもはなんだって分かっているのだ、諍いの原因がつまらないことだということも、捨て台詞やたしなめの裏で、親が子どもの勇気と優しさを抱きしめていることも。でも、そのことに気づくのは漸く半日たってから。未熟なのはどっちだろう。