夕方神戸に着き、ポートタワーの真下に荷物を置いて待っていた僕を、友人は車で夜景の見える展望台まで連れて行ってくれた。摩耶山。星を掬うと書いて掬星台という。日が沈んで辺りが暗くなり、薄紫色の帳が下りると、空に星が現れるよりも先に、文字通り眼下から光が上ってくる。まずは六甲や三宮の町がオレンジ色に光り、次いで真っ暗な海の中にポートアイランド神戸空港の輪郭が浮かび上がる。光の帯は山沿いに西宮を通って大阪で右に折れ、関空の明かりを灯して紀伊半島の先まで伸びていく。これらの地名を、友人が印刷してきてくれたGoogle Mapで追いながら、女はこんな照合なんかしても喜ばないよな、などと話していると、木々のざわめきの中から遠い街の音が、マイクロホンで集められたかように山肌を上ってくるのに気がついた。汽笛、工場のサイレン、車や鉄道の音。
夕ご飯を食べてから、足首がぐねりそうな急坂を上がって友人の家に行く。その道は山の上にある神社への参道になっているそうで、上るに連れて木陰の闇は濃くなり(竹藪からゴソゴソと聞こえる物音を聞いて、友人はイノシシだと言った)、勾配は一層きつくなった。その急斜面に立つ、階が階段状に連なったマンションが友人の自宅だった。ベランダに出ると、さっき行った掬星台ほどではないが、坂の下に佇む町と港、照明の点滅する大きな橋の夜景が一望できる。山を背に雲のほとんどない夜空が広がっていて、満月がわずかに残った雲の痕跡を照らしていた。すぐにその場所が気に入った僕が、椅子無いの?ときくと、彼は椅子とテーブルを出してきてくれて、結局ベランダでお酒を飲むことになった。寒さも気にならずに月が西側に傾くまでそこで話したことは、胸の中にしまっておきたい。意表をついて友人が吸い出したタバコのせいで四ヶ月続いた僕の禁煙が破れてしまったこと、宗教的な不信を口にした僕に対して、彼がある本を引きながら一つの話をしてくれたことは書いてもいいかな。「イエス、結構いいヤツだったよ」という彼の距離感がうれしかった。
満足いくまで話した僕らは、翌日ひたすら歩いた。彼が休みを取ってくれたので、午前中から神社に参拝し、午後は車で芦屋まで行って、フランク・ロイド・ライトが設計したという迎賓館のある小高い丘から、芦屋川の畔を海まで、辺りの風景を撮り比べたりしながら四、五時間かけて黙々と歩いた。途中、学生時代の感情を思い出したことがあった。海に着くまでに何度も下をくぐった鉄道や、道路の高架下の河川敷に、ホームレス対策で市が施したと思われる細工があり、それを見た彼が「意地悪だなァ」とつぶやき、それを聞いて、自分は聡明さと同居した彼のそんな素朴さが好きだったんだと懐かしさがこみ上げたのだった。卒業してあまり交差することのなかった月日であったが、彼にとって大切でないとも思えない場所に案内してもらっているうちに、それらの時間がこの町の中で不思議に重なっていくような感覚に満たされ、言葉はなくとも、互いの帰し方を肯定し合っている頼もしさを包まれていた。素敵な散歩道を用意してくれた彼に感謝している。
そんな訳で先日友人を訪ねたときのことを書いた。日が経るにつれ思い出は満ちゆく時の中に沈んでいくが、そんな中でも未だ記憶の水面に浮いている事のいくつかを後の日のために残しておきたいと思った。多分年を取って死ぬ前に思い出すのはこういう時間のことだから、その日の回想の助けとして。