「お姉ちゃん、○そろそろ夏休みやろ?どうするん?幼稚園でのエネルギー、全部お姉ちゃんに向かってくるで」と、妹さんに心配された夏休みがスタートした。今のところカルガモの赤ちゃんが生まれたと聞いては自転車で遠征し、僕がバスで出かける用があれば付いて来たりと、策を講じて、何とか湧き上がるエネルギーを受け流している。選挙の日は、会場の小学校のジャングルジムで遊んだり。
選挙。いつくかの印象があるが、6年の任期を終えるや、卒業式や退職パーティーのような式典を経る訳でもなく、次の当選に向けたデスマーチに突入し、勝てば万歳で次の任期に突入、負ければ6年間の決して楽でない仕事への労いもなく、やれ捲土重来だの、いや今は休めだの、好き勝手なことを言われて、尻を叩かれたり、離反されたりの議員さんの処遇について、ご自身で選ばれた巡り合わせとはいえ、因果なものを感じてしまう。
結果についても様々な論評が飛び交っている。あれこれ目を通すなかで、ブラック企業根絶派にとってワタミ当選は悲報、脱原発派にとって山本太郎当選は朗報、という評価にはいささか不見識なのでは、という印象をもつ。二人ともハレ・ケ(ケ枯レ)という日本的倫理観からすれば、完全にケ枯レに成り下がった存在で、落選すればそれだけで何がしかの禊ぎは済んでしまう。ところが実際は、二人とも当選することによって、政治力に乏しい一年生議員でありながら、晴れて立派な公認のケ枯レとなったわけで、安倍政権は今後、「解雇規制」や「失業なき労働移動」等の政策に取り組むに当たり、それが党内のワタミ的な価値観の現れとみなされないようにするための、極めて慎重なハンドリングを要することになった。脱原発派も同様で、代替エネルギー廃炉に関する熟議を避けて「何とかしろ」のシュプレヒコールだけ上げていると、即座に山本太郎の一派(=バカ)とみなされるというリスクを背負い込んだ。このように、祭りに興じて溜飲を下げる機会ばかりを窺っていると、ハレとケの世界観で目出度いとされていることが、政策的実効性の面ではしばしば真逆の方向への作用をもつことに気づかなくなることがあるから注意する必要あり。