今日は息子にとって試練の一日だった。僕自身、しばらくかける言葉が見つからないショック状態にいて、その中で、お前はとても男らしくて立派だと思った、ということだけは伝えた。でもその時すでに彼は、うまく計らうことができず自責していた親の身を案じてくれていたのだった。クリスマスツリーに関する話題を提供し、愉快な質問を浴びせ、親の手を引いて自ら考えた遊びに誘った。強い子だ、優しい子だと、事ある毎に目を開かされて、そこを踏まえずに三才児の発する言葉の上っ面だけを捉えていては、親子以前に人間同士である関係において失礼になると戒めてきたけど、この程度と思っていると子どもは必ず親の手の数メートル先を羽ばたいている。現実を消化する力、人の心に寄り添う優しさ。人ひとりの生き様に対して余りにも粗末な表現だけど、それでも僕らはこの言葉という土塊を捏ねてやりくりしていくしかない。抱擁だってそこに体温という一変数を加えるに過ぎない。
時折夜泣きのように呻くお前を交互に見回りながら母ちゃんと何時間も話した。真剣だけど幸せだった。言葉なき世界への言葉による冒険。何という贈り物を携えてお前はやってきたのか。