家族三人と両親で京都まで出かけていった先月二十日のおばあちゃんの合同慰霊祭。お寺に着くと父親は会場のあらゆる箇所や人物の写真を忙しなく撮り始めた。式典の開始間際になっても、板の間の席に着いた僕ら三人の写真を撮ろうと、奥の方からカメラを構えている。それを見た妻が僕の耳元で一言「お父さん、一生懸命やね」と囁いた。「え?」と訊きかえすと「おばあちゃんの記録を残しておきたいんやね」と言ってにっこりと笑った。その時、父親の気持ちが手に取るように僕の心の中に飛び込んできた。お葬式を拒絶して検体を望んだおばあちゃんのささやかな願いを叶えるために奔走してきたこの一年間の父親の思い。この式に駆け付けてくれる人々のために準備に励んできた父親の心遣い。おばあちゃんの遺志とは別に、今年一月に身内だけで営まれた小さなお葬式は素敵なものではあったけれど、おばあちゃんの積年の願いが白菊会への検体であった以上、その意を汲んだ父親にとってやはりこの合同慰霊祭は格別なものであったはずなのだ。こうして人が心に仕舞っている思い、自分でも気付かぬほどささやかに秘められた善意の内実を、妻はいつも一言二言で僕に示唆してくれる。そのたびに僕の世界は少しずつ、雲が晴れるように明るさを取り戻していく。人の悪意やコンプレックスに敏い人間はいくらでもいるが、陰ながらの善意や人知れぬ思いにこれほど心寄せる人物はなかなかいない。人の真実の良き面を光のように明らかするのは、世が世なら天使の役目のはずである。妻が話を聞かせてくれる人物は、こちらが面識のない人であっても、いつも会ってみたいと思わせる魅力をもっている。