ところで開票日に見た『選挙ステーション』の第2部で与野党の議員たちが見せた表情はなかなか興味深いものだった。民主党議員は、昂ぶる気持ちを押さえ込むような表情で、口にする意気込みも意外なほど慎重サイドに寄ったものになっていた。ただこれは大きな仕事を前にした人間にとっては至極自然な反応であるのかもしれない。これまで待ち続けた時間、練り上げてきた計画、そしてそれをはるかに超えて聳える現実。このことを前にして、過去の選挙で勝者たちの顔に浮かんだものと同じ気分に包まれること自体が何かおかしいのであって、鳩山党首が会見で見せた表情と同様に、責任を自覚した人間に宿る厳粛さの現れとみなすのが自然だろう。僕にとってより大きな驚きだったのが、敗北した与党議員たちの表情のほうだった。彼らの態度からは、選挙前に野党のマニフェスト絵空事と退けた時のような強情さが消えているように見え、それどころかもう嘘をつかなくて良いんだとばかりの安堵のような空気さえ感じられたのだ。当日参加した議員たちが、党の広報的立場に座る重鎮でなく、若手の政策通や実務派で固められていたことも、討論の新鮮さに寄与する要因ではあっただろう。与党議員たちは自分たちが直面していたデッドロックの正体について明け透けに語り、民主党議員がそれに同意する。民主党議員が語る展望に対して、与党議員が自分たちの失敗経験を元に反論する。田原総一朗が煽る討論番組でありながら、例外的に建設的な議論が展開され、ついつい最後まで見入ってしまったのだった。考えてみれば自民党議員の中には、自民党がかろうじて護持する保守的な党是のもとに集まったというよりは、政策を実行するための器として政権与党を選んだ人間も少なからずいるはずで、当日の番組出演者のように政治・経済学的実力が備わった人間であるほど、その性向が強いとも言えるだろう。政策を実行するために、政権の奥に歩を進めれば進めるほど、政権の外からしか変えられない現実に突き当たるというジレンマが、多くの志ある人間を見舞っていたのではないか。討論の中で、記者クラブの問題性を議題に載せたのは他ならぬ河野太郎だった。彼はまた、自民党外交が陥っている袋小路についても自説を語っていたが、その批評性は見事に当を得たものだった。問題があることは分かっていても、自身が利権の当事者である以上口にし辛いし、口にしたとしても自分たちの下駄を外すことになるムーヴメントにまで展開させていくことはなかなか難しい。もしかしたら、現状国民的な規模で敵視されている官僚の中にも、このような立場で呻吟している人間が埋もれているのかもしれない。自身の地位を確保したいという欲望は誰もが見舞われる業のようなものだが、良い仕事をしたいという欲望も人に決意と行動を促す本来的な動機の一つであろうから。だとすれば、新政権の成否は敵視や弾劾にではなく、長く眠っていた自発性を目覚めさせることにこそ存していると言えるのかもしれない。もちろん対象は官僚だけではない。促されるべきは市民全員であるはずだ。