今日は産休前の妻の最後の出勤日だ。同僚が送別会を開いてくれるそうなので帰宅は遅くなるようだ。育休後の仕事はまだ決まっていないが、パソコンの操作法やトラブルに関して電話で案内する今の業務からはしばらく離れることになるだろう。この仕事に就いてからもう七年、僕が会社に入る前から始まって、共働き時代、そして僕が会社を辞め自力で動きだした今に至るまでずっと通して頑張ってくれたことになる。ともするとこの間、健気に家計を支え続けてくれたことに対する感謝の念で専らになってしまいそうなところだが、僕としては同時に、これまで彼女が維持してきた仕事へのコミットメントに対しても純粋に敬意を表したいと思う。処理件数の多寡で評価が下される体制の間隙を縫って、理解に時間のかかるご老人や、他社振りの憂き目にあいがちな押しの弱い人たちへの対応にとりわけ力を注いできたこと、一方で質の悪いクレーマーに対しては時に愛らしいpunishmentで応じたこと。スランプに陥ったときの駅から家に帰るまでの道のりは、毎晩さながら戦略会議のようだった。怒っている人間への対処法、職場での居場所の作り方などについて、時に意見をぶつけ合うようにして話し合った。試行錯誤の中で彼女自身もさまざまな面で成長することができたと思う。延べ2万人もの人間と渡り合うなかで人に対する当たりの強さも自然と身に付けることができたし、何より、相手の顔が見えず声しか聞こえない状況下での、トラブルに陥った人間が直面する感情的当惑への共感力と、自尊心が傷つけられた人間が怒りを発生させるに至る機序への冷酷なまでの客観的洞察力の向上は、僕から見ても目を見張るものがあった。数日おきに話してくれる、その日出会ったおっちょこちょいなお客の『○○な話』の数々は、この感情的共感と客観的洞察がいかんなく発揮された彼女の真骨頂だった。
これまで一緒に頑張ってきた友達・同僚、支えてくれた家族への感謝に加えて、僕としては、彼女に自分の仕事の意義を確認する機会を与え、仕事への姿勢を励ましてくれた多くのお客さんの言葉についても記しておきたいと思う。「○○さんに教えてもらって良かった」、「今度も○○さんだったらいいのに」というさりげなく踏み込んだ一言が、彼女はとても嬉しそうだった。