特殊相対性理論の結論の一つとして知られるE=mc^2の発見は、人類がそれぞれに発案し解明を進めてきた光(電磁波)と質量とエネルギーという概念が、一つの等式の中に統合された科学史上の画期的な事件であった。この視点から、当の偉業を成し遂げたアインシュタインのみならず、それぞれの概念の探究に関わった科学者たち(光の電磁波としての性質を解明し光速度を(真空の誘電率透磁率から)理論的に導き出したファラデーとマクスウェル、質量保存の法則を明らかにしたラボアジェニュートンが重視した運動量に代わってライプニッツが提唱した質量と速度の二乗(彼はこれを「活力」と呼んだ)に比例する量こそが、エネルギーに関わっていることを示したデュ・シャトレ夫人)の自然との格闘を、当時の他の著名人たちも登場させつつドラマ仕立てで追ったイギリスの科学ドキュメンタリー。中でも山岳派のマラーとの確執が機縁となって断頭台へと消えたラボアジェの下りはエピソードに富んでいてとても興味深い。
高名な法律家の家に生まれたラボアジェは、父の要望で法律を学び弁護士資格を取得するなどいったんは法曹界への道を歩き始めるが、ほどなく天与の観察力を生かす化学の世界に転向した。実験の資金を得るために、国王に代わって税を取り立てる私企業の一員となり、平日は悪評を被りやすい徴税人として腕をふるいながら、休日には稼いだ資金を投じて、燃素説の否定、質量保存則の発見等につながる画期的な実験を次々に行っていく。彼の化学者としての天分は、実験結果を洞察する観察眼、実験アレンジの斬新さと、何より気体や液体の一滴も漏らさずに計測する正確さにあった。そんな彼が、アカデミー入りを目論んで怪しげな動物磁気説の論文を持ちこんだジャーナリスト上がりのマラーをはねつけたのは科学者として当然の振る舞いであっただろう(マラーの論文を拒絶した委員会のメンバーには、当時フランスに使節として滞在していたベンジャミン・フランクリンも名を連ねていたという)。政治的にはリベラルであったと言われるラボアジェが、後に革命派によって捕えられギロチンによって処刑されたのは、徴税人としての体面の悪さに加えて、積年の逆恨みをため込んだまま山岳派の指導者にまで上り詰めたマラーの意向によるとも言われている(しかしマラー自身はラボアジェの処刑より一年前にコルデーによって浴室で暗殺される。タヴィッドによるが有名)。番組内でラボアジェに門前払いを食らったマラーが、ロベスピエールと思われる仲間の輩ととぐろを巻きながらまくし立てる台詞がふるっている。「アカデミーの定める真実の基準に達していないと追い返された。ラボアジェめ、何を偉そうに。正確さが何だってんだ。アカデミーの連中はみんな同じだ。精神の自由を侮辱している。まったく奴だけは。天才を見抜く能力なんてないんだ。芯まで腐っていやがる。国王の側近とちっとも変らない。人民だ、正しいかそうでないかを決めるのは。次にばらまくビラであの男を叩いてやる」。
http://unintentional-irony.blogspot.com/2007/11/lavoisier.html