先週末、妻の妹さんとその子供がはるばる大阪からうちに泊まりにきた。といっても単に遊びに来たわけではなくて、妹さんが品川で行われる友達の結婚式に出るための宿としてうちを使ってくれたというのが名目上の理由。金曜日の夜に横浜まで迎えに行く。子供ちゃんと前に会ったのが京都のおじさんのお葬式のときだったから、約一年半ぶりの再会だが、以後もわりと頻繁に関西圏まで帰省している妻はともかく、僕のことは覚えてくれているだろうか?お母さんに手を引かれながら改札を出てくる姿はやはり微妙に緊張気味。促されて僕の目を見ることもなく挨拶の言葉を口にするとまたすぐにお母さんの影に隠れてしまう。でも、媚びることもないごく自然な人見知りの表現に僕の方の緊張は自然に解けていった。今は幼稚園の年少組で、ここ一年くらいはとにかく電車に熱を上げているらしい。なるほど家に向かうための電車に乗って席に座ってからも、別のホームに他の電車が発着する音が聞こえてくると、席を立ったりシートによじ登ったりして当の電車を見定めようとする。各々の電車の車体に入ったストライプの色の違いなどもしっかりチェックしているようだ。彼がもぞもぞと席の上で体勢を変えるたびに、前に立ったサラリーマンは読んでいるコミック誌から目を逸らすことなく足が当たらないように体を移動させる。妹さんの指摘で気付いたのだが、そういえば普段利用しているこの路線でこの年頃の子供を見ることはほとんどないと言ってよい。大阪と比べてもやはり子供の数は少ないと感じられるようだ。いくら少子化とはいえ人口的に100万単位の子供は存在しているはずなのだが、未だ就学もしていない彼らは一体どこに隠れているのだろうか。普段目にしないせいかどうかは分からないが、僕も含めて、乗車している大人たちの子供への態度にはどことなく未熟な、対処に困ったようなものがあるように感じられる。たまたま電車に乗り合わせただけで対処もくそもないとも言えるけど、視線の合わせ方、距離の取り方などに、どうもイレギュラーな動きをするこの物体の存在に気づいていないふりをしようとする意図が感じられるのだ。これはつい先日スニオン岬からアテネへ向かうバスの中で見た、赤ちゃんに対する客や車掌さんの構いっぷりの記憶とたまたま強く対比されたが故の印象かもしれない。最寄駅で下車すると、ホームに立ってこれまで乗ってきた電車を見送るという恒例の儀式が始まる。シューという音とともにドアが閉まる瞬間に同期して、肩幅に開いていた脚をピシッと自動的に閉じて気を付けの姿勢をとる様子には、彼の電車へ寄せる感情移入の深さが表れていて微笑ましい。
見知らぬ町へ下り立った彼にとって、高架を走る電車の音や、夜道の対向車のヘッドライト、草陰から聞こえる虫の鳴き声等のすべてが新鮮であるように、僕にとっても見慣れない子供の一挙手一投足は全く見飽きることがない。家に向かう途上で彼がお母さんの手から離れて一人で歩いている姿を観察していると、走り幅跳びの助走のように手を大きく振って大股にリズム良く歩いたり、かと思えば歩幅を狭めて小刻みに歩いたりと、実にさまざまな歩き方を楽しんでいる。競馬を見てきた影響からつい子供の動きを見てもその潜在的な運動能力を推測してしまう癖があってその見方からすると、彼には間違いなく運動神経抜群の母方の血(お母さんは国体へ出たこともある元水泳選手だ)が生きているのを感じる。前に会った時にも気づいたことだが、さまざまなポーズをとるときのバランスが良く、また膝がとても柔らかく動くのだ。
家に到着すると、もう十分疲れているはずなのに、目的地に着いた安心感・達成感で元気が再チャージされたのか「探検しよう」とお母さんの手を引いて家の中を動き回ろうとする。妻が開かずの間のドアを慌てて閉めると、「おもちゃがあるの?」と言いながらその部屋に異常に興味を示す。禁忌⇒何か魅惑的なものが隠されているはず⇒そしてそれはおもちゃだ!という思考回路が面白い。全国の電車の写真が載った愛読の書を見ながら、今日これまでに乗ってきた電車を指さして教えてもらう、という遊びをやっていた時のこと。新幹線、東海道線までは正解で、さすがだなと思いながら「すごいすごい」と褒めていたら、最後の電車を京王線と間違えたので、「なんだ、案外分かっていないんだな」と呟いた。すると一瞬にして目が曇った感じになって、しゅんと縮こまってしまった。驚いてお母さんに聞いてみると、大人の会話でもよほど難解な内容の会話でない限りはだいたい理解しているとのことだった。この年頃の子どもは自分が話す言葉よりも遥かに広い範囲の言葉を解するものらしい。自分としては、まだ話し言葉も片言だし、当人には分からないだろうという憶測で悪気なく漏らした一言だったのだが、考えてみると不用意で申し訳なかった。
そんなこんなでお休みの時間がきた。最初は興奮して寝付かれず、お母さんが見に行って「まだ起きてんの?」と聞くと首を振って見え透いた否認を行ったりしていたらしいが、さすがに十分もすると静かになった。それからしばらく三人でヒソヒソと大人のお喋り。楽しい体験をさせてもらって本当にありがたい。