という訳で先週は空き時間が結構あったので大学生の頃読んで以来の『愛と幻想のファシズム』を携行した。政治的経済的な設定については昔よりわかったような気になったり、村上龍が狩猟家やローレンツ等の影響で主人公に標榜させるに至った社会ダーウィニズム的世界観については昔より分からなくなっていたりしたが、当時読みながら引いていた下線から推測するに笑うところは以前とほぼ同じだった。知識や思想とは違って、笑いのツボみたいなものは年をとっても変わらないものなのかもしれない。今回一番笑ったのは、冬山に同志ゼロを連れ出し、寒さと疲労のために瀕死の状態に陥ったゼロを沼のような温泉に浸けて、そこにザックから取り出したオレンジを放り込んだ主人公が放つセリフ。
「オレを殺すか?だったらその前に、目の前に浮いているくそみたいにふやけたオレンジを食え」
食わせたいなら、「くそみたい」とか言っちゃダメだろう、と。(なんかやっぱりこう書いてしまうと元も子もないけどね)
そういう意味での読みどころは満載で、中でも労働組合の委員長が演説中に薬物で発狂していくシーンなんかはその白眉なのだが、もちろんそれだけでなく、本書の売りである「政治経済小説」としても十分に読み応えのある作品になっている。設定が1990年ということで、国際関係や世界の経済体制にかかわる記述が廃れてしまっていることを心配したが、そのことによってリアリズムは些かも損なわれていないし、むしろ困窮した社会が流動化と規範の崩壊を同時に進行させていくありさまは、最初に読んだ当時よりも真に迫って感じられるほどだ。ストや暴動、テロのシーンの生々しさについては「騒乱の見者」たる作家の面目躍如といったところ。たしか、この作品は村上龍が「小説とは情報である」との奇矯な小説観を公にしてから最初に書かれた作品だった。『海の向こうで戦争が始まる』でピークに達した色彩と物質とエネルギーに満ちた文学的象徴の結晶力は、この作品を境に明確に弱まっていくことになる(「幻のエルク」、「キングサーモン」)。しかしその分、本作は村上龍が、人々が小説家、文学者として想定していたものとは別種の天才であることを世に示すことになった画期的な作品であったと言えるかもしれない。個人的見解だが、『20世紀少年』などという漫画を読むヒマがあるなら、何十倍も過剰で重厚なこの小説を読むことを勧めたい。
ちなみにこの時期我が家で流行ったのが「愛と幻想の○○」というフォーマットの大喜利。「メリークリスマス」に勝る答えはなかなかないなぁ。