もう飽きてきた

久しぶりに本拠地で仕事を再開して、自分の精神状態がどのように変わってくるのか、それとなく意識しつつ眺めていると、この一週間日々ものの見事にパソコン脳・仕事脳化しているのが分かった。
本来パソコンは「計算」のための手段としてある。この意味と価値が転倒され、パソコンがそれ自体として偏愛すべきフェティシズム(呪物崇拝)の対象となっている人間をオタクと呼ぶが、そういう人種の多いこの業界で自分は、パソコンに「自分の目的を達するための手段」として以上の意義・価値を見ていないほうの人間だと思う。物としてのパソコンは、単純な二値論理が大規模化して見かけ上複雑化しただけの世界のように見えるし、その上それが供される目的というものも、もっぱら顧客企業の目的であって、自分の目的ではない。この考えは自分の中でもう長い間生き続けているし、これからも多分変わらないと思う。
それでも、解けない問題がある、でも締め切りもある、といった状況下では、嫌でも少しは真面目にやらざるを得なくなってくる。休憩の間もあれこれ考えている自分を見ると、これはもしかしたらちょっとした「夢中」なのではないかと思ってしまったりもするのだ。そうしてやり終えて家に帰ると、何か小目標を達成したかのような充実と疲労が混じり合って、もうなんか他のことはどうでもいいような気になってしまうのである。
職業人という型ができあがる追体験でもあるこの過程は、この一週間で面白いくらい自然に進行した。こういう生き方も、ある意味理にかなっており、心もち次第ではとても楽だということなのだろう。そんな心もち、イヤだけどね。