昨夜食卓でワインを派手にこぼしてしまって、その時うっかり「ディーーーープ」と間抜けな台詞を口にしたら、今日子どもの遊び場から出る時に、傘の持ち合わせがないのに外に雨が降っている様子を見て、息子が早速「ディーーーープ」と叫んだそうだ。使い方はどこも間違っていないのだが、見よう見まねで何でも真似をするものだから、あまり寒いことを言うのも慎まねばならないと気を引き締めた次第。
遊び場から帰ってくる母子を迎えに駅の改札で待っていると、向こうから泣き叫ぶ四才くらいの男の子と母親が歩いてきた。歩くといっても、子どもは母親の歩行を必死に妨害しながら、何やら懸命に訴えている。「お母さん!止まって!」、「帰りたくない!」、「手つないで!」、「もっとゆっくり歩いて!」。彼の訴えは切実で、声は嗄れ果て、頬も涙でびしょびしょだ。それなのにお母さんは、不機嫌そうな表情を死人のようにこわばらせたまま、恐ろしく低い声で「なんで止まらなきゃいけないの!」、「帰らないでどうするの!」、「邪魔しないで早く歩いてよ!」と、一片の共感さえ示さず、彼の訴えをことごとく拒絶して、小さな体を払いのけるように前に進もうとする。まあ人ごみの中に一日居れば一度は目にする光景ではあるのだけど、今日は多分心の防衛機制が甘かったのだろう、それを見てから急に悲しくなってずっと落ち込んでいた。生まれ落ちたこの世の中で、自分は自由に生きて良いのだという確信は、幼少期の親からの承認でしかその母体を育てることはできず、彼もそのことを本能的に分かっていてあのような訴えをしているに過ぎないのに、自分の要求の必然性を説明する語彙や文脈を子どもが持たないのをいいことに、どうしてあの母親は子どもの未熟な言い分にいちいち理詰めで反駁することしかしないのだろう。彼の訴えが、"Love me please, mama!"ということ以外でないのは、日本語が分からない外国人だって理解できそうなものなのに。母親がああいう人物であっても、唯一つの心の寄港地として、切なる心情を投げかけ続けなければならない彼の置かれた状況の厳しさに、うずくまる様な悲しさをおぼえ、ずっと暗い気持ちで過ごしていた。夜そのことを打ち明けると、妻はしばらく考えて、「結局お富士さんに頼むしかないんだよ」と、『富嶽百景』に書かれた一節の話を聞かせてくれた。自分もさっきNHKのトップで変なニュースを見て落ち込んでいたところだったのだけど、そういう遠い悲しい話について真剣に考えようとしても、自分たちが自分たちの領分で精一杯生きる、ということでは全く対応できない。自分は、祈るということはそういう時のためにあるのだと思う。そうすることでしか心の憂さを晴らすことはできないし、そうしなければ自分たちが前に進む力さえ失われてしまう。「世の中にはストリートチルドレンだって沢山いるし、悲しいだけじゃなくて今も嫌な思いをしている震災孤児だっていっぱいいるだろうし…」のところまで来て、彼女はぼろぼろと泣いていたけれど、彼女が示してくれた「祈りは最終的に自分のためにするもの。それでも自分の事じゃなくて人の事を祈るほうが、何より自分にとっての救いになる」という考えは、しっかりと地に足のついた彼女らしい素敵な信仰だと思った。

 朝に、夕に、富士を見ながら、陰欝な日を送つてゐた。十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一団体が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五台に分乗してやつて来た。私は二階から、その様を見てゐた。自動車からおろされて、色さまざまの遊女たちは、バスケットからぶちまけられた一群の伝書鳩のやうに、はじめは歩く方向を知らず、ただかたまつてうろうろして、沈黙のまま押し合ひ、へし合ひしてゐたが、やがてそろそろ、その異様の緊張がほどけて、てんでにぶらぶら歩きはじめた。茶店の店頭に並べられて在る絵葉書を、おとなしく選んでゐるもの、佇んで富士を眺めてゐるもの、暗く、わびしく、見ちや居れない風景であつた。二階のひとりの男の、いのち惜しまぬ共感も、これら遊女の幸福に関しては、なんの加へるところがない。私は、ただ、見てゐなければならぬのだ。苦しむものは苦しめ。落ちるものは落ちよ。私に関係したことではない。それが世の中だ。さう無理につめたく装ひ、かれらを見下ろしてゐるのだが、私は、かなり苦しかつた。
 富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。トンネルの冷い地下水を、頬に、首筋に、滴々と受けながら、おれの知つたことぢやない、とわざと大股に歩いてみた。
太宰治富嶽百景