夏休み初日。前日に妻が「夏休みだからって無理に楽しまなくてもいいんだからね」と危惧していた通りに朝から何をやっていいか分からず、やっぱりそそくさと仕事を始めてしまう。そういえば会社時代だって、土日も帰宅してからの時間も勿論夏休みも僕は仕事をしていて(仕事の内容は、会社とは全く関係のない今の仕事だったけど)それは会社に入る前から今まで続いている習いのようなものだから、それを無理に中断しようと思ってもなかなか難しいものなのだろう。僕にとって会社の仕事は、土日に家に持ち帰ると自分のプライバシーが凌辱されたと感じるほどの疎外された対象であったから、土日に「自分の仕事」に打ち込むことは至極納得尽くの習慣であったが、同時に休日にテニスや飲み会に繰り出していく同僚を見るとささやかな羨ましさを感じることもあった。今考えるとそれは決してテニスや飲み会自体が羨ましかったのではなくて、休日にそうやって自分をオフにできる彼らのマインドが羨ましかったのだと思う。月曜から金曜までは「公」の立場として仕事に励み、土日は「私」の立場に戻って自分を思う存分解放する。そんな切り替えができたら良いだろうなと僕も思っていなかったわけではないけど、僕にとって月曜から金曜までは「公」どころか「半死」の状態にあったわけで、土日はくつろぐためでなく「生きる」ために本当の仕事に打ち込む必要があったのだ。ごろごろしたり、遊んだりする余裕はほとんどなかった。世間の人々が実際にそんなメリハリの利いた公私の切り替えができているかどうかは別にして、今でも皆が遊んでいるであろうゴールデンウィークや夏休みにテンションが上がってしまうのは、よく学びよく遊ぶの理想から自分が挫かれていたことへのコンプレックスの表出でもあると思っている。
週に一度のばあば保育園(母親が息子を4、5時間あずかって面倒を見てくれる)から帰宅した妻は、僕を横浜でのランチに誘ってくれた。当然始めは電車で、という暗黙の了解だったが、窓からのぞく抜けるような青空と、蝉のけたたましい鳴き声に狂わされたのか、玄関を出るところで突然バイクでという流れになる。二人で部屋に戻り急いで長袖とジーパンに着替えようとすると、既に汗が滲んでいてなかなか手足が服を通らない。そんな状態でフルフェイスのヘルメットをかぶり、車庫から200kgの車体を引きずり出してエンジンに火を点けてさあ出発という頃には、もう完全に仕上がってしまっている。先日ある人が、夏にバイクに乗っている人を見ると涼しそうで羨ましい、と言っていたけど、これは夏にバイクに乗ったことのない人が持っている美しい錯覚で、少なくとも炎天下の街中ではいくらスピードを上げても涼しくは全くない。真夏の路上には車やトラックの排熱に加えて、路面や周囲の建物の側面など、あらゆる角度から散乱してくる太陽光が充満しているので、いくら涼しげに疾走しているように見えても、実際には不快な暖気に突っ込んでいるだけで清涼感など少しもないのである。おまけに少しでも渋滞に嵌ればみるみるうちに水温を上げるエンジンからの油臭い熱気が股の下から上半身に纏いつくように立ち昇ってくる。だからバイクの楽しさは傍から見た涼しげな素振りの中にあるのではないのだ。車より遥かに優れたパワー・ウェイト・レシオのもたらす加速の気持ちよさ、バイクと体を一体にして曲がっていくコーナリングにおける重力感覚、目的地までの空気を実際に切り裂くことによって体感される現代における政治的移動の自由の象徴。それを問われた人間は多様な言葉を駆使して表現しようとすると思うけど、僕としてはライディングが被るありとあらゆる不便や不快≪にもかかわらず≫なぜかそれは楽しいのだ、というapophatic(否定神学的)な表現が一番しっくりくるように思う。だって今日の僕らは、少なくとも加速やコーナリングや移動の自由の確認のために、バイクを選んだのではないのだから。バイクの不便は目的地に着いた後にも付きまとう。首都高を下りてみなとみらいに着いた僕らは、まず数少ない駐輪場を探さなければならず、しかもようやくたどり着いた駐輪場は生憎の満車状態。気力も体力も尽きていた僕らはやむなくハイリスク・ロー民度の手段に訴えることになる。さて、何とか停めたは良いものの、僕らの目指すビルはそこから一キロ近くも先にある。ビルへ続く道は白いアスファルトでそこに太陽が反射し砕けた光となって下から僕らを照りつける。水と食事にありつくためにはその距離を長袖長ズボンでヘルメットを抱えたまま移動しなければならないのだ。しかし、汗に濡れた妻と笑い合いながら歩いた道すがらのなんと楽しかったことだろう。レストランに着いた僕らは、息子のことが気になっていたのもあってパスタをアイスコーヒーで胃に流し込み、また急いで駐車場まで戻って、もと来た道を帰って行った。結局何をしたかったのだと言われればそれまでだが、最高の休日だった。