僕らが結婚して以来、クリスマスや家族内のいずれかの誕生日の折りに実家に集まって、料理やケーキを食べながら夜遅くまで喋るという催しがもう何年も続いている。とは言っても律儀に個々の誕生日を必ず採りあげられるわけではなく、開催ペースは至極適当で距離の近い誕生日はしばしば圧縮される。今回はこの会食に妹が結婚して初めて、妹の旦那さんが参戦してくれた。仕事が長引いて遅くなっていた彼から、家の下まで来ていると連絡が入り、妹と奥さんと駐車場を案内するために迎えに行くと、指定された交差点に右折待ちの車が止まっている。今年買ったばかりの白いフォルクスワーゲンで、信号を待つその車体が、見知らぬ場所、見慣れない人々に会いにきた運転手の心許なさを映して、小さく竦んで見えたのが面白かった。
おそらく彼なりには、十分打ち解けて心を開いてくれた思う。うちの家族もリラックスして、アメリカ滞在時の思い出話などをネタに調子よく盛り上がっていた。夏休み前の最終日、スクールバスの発着場がいつもの場所から変更になり、変更を知らせるアナウンスも聞き取れず、結局いつも車窓から見ていた景色の記憶を頼りに数マイルの道のりを歩いて帰ってきたときのこと。宿題の内容を聞き逃すまいと、脳が腫れ上がるまでに集中して先生が話す英語の指示に耳を澄ませていた妹が、帰宅後話しかけてきた両親に対して「もう何もしゃべらないで!私の耳はもうヘトヘトに疲れてるんだから!」と、悲痛な叫びをあげたという話。いささか家族史で押しすぎた嫌いもあったかもしれないが、僕としては二十年以上前の懐かしい話がぼろぼろと掘り起こされる楽しいひと時だった。滞在中常に子供の誘拐の危険が囁かれていたため、毎日バス停まで妹を迎えに行っていた母がある日急用で行けなくなって、代役で駆けつけたもののタッチの差で遅れてしまった父が目にしたという、家に向かって一目散に、呼び止める父の声も耳に入らずに駆けだす妹の姿は、今想像してもありありと情景が浮かんできて微笑ましい。
自身優れたヴァイオリン弾きでもある旦那さんの友人で、最近デビューしたというアーティストを紹介してもらった。僕ほど懐古的な人間が若い人の作る音楽を聴いても、良いものは耳に入ってくるのだと知って安心する。