ハゲを売り物にしてる芸能人は結構いるのに、ヅラを売り物にしてる芸能人がほとんどいないのは、ヅラを売り物にしたらヅラにしてる意味がなくなるからである。ヅラの本分は、ハゲていることを隠すと同時に、その隠すという行為自体をも隠蔽する再帰性の内に成り立っている。この後の条件が失われた好例が、去年話題になったヅラボクサーであった。隠さなければならないのは、ハゲていることだけでなく、ハゲていることを隠そうすることである。そして芸人でさえもヅラを公にできないという事実は、ハゲていることそのものよりも、ハゲていることを隠そうとしていることのほうが、きつい羞恥であるということを物語っている。人間が隠そうともしないのに、ただそこにあるというだけで恥ずかしいような存在、あるがままの存在そのものが恥であるような、いわば純粋恥のようなものは、多分それほど多くはないのだろう。
妻とテレビでオヅラさんを見ながらそんなことを考えていた。