調子の面に関して言えば、あくまで一競馬ファンの印象批評にすぎないけど最高に近い状態に仕上がっていたと思う。バランスの良い骨格の上に絶妙に按配された筋肉を躍動させて歩様する姿は、これまでトウカイテイオーサクラローレルによって作られてきた自分の中の競走馬の理想像を爽快に更新してくれるほどだった。渡仏してレースを迎えるまでの間に陣営が繰り返していた「完璧」という言葉はブラフでも言い聞かせでもなくて、素直に自分たちが世界最高のレースを勝つために必要と想定している状態のレベルを確実にクリアしている実感から出ていたものだと思う。調教に騎乗した武が「最高」という表現に「今年に入って」という限定をつけていたのも、追い切りで感じる生きの良さのようなものは古馬になるにつれて実感できにくくなるもの、という相場を考えれば特に不審なものでもなかった。グラスワンダーも結局調子だけなら2才の時が最高だったわけだし。そしてダービーでのあの幼い仕草を思い出しながら、今日のパドックでの並足、本馬場での辛抱強い早足、2番手で頭も上げずに我慢した1000mの走りを振りかえってみると、厩舎関係者がこれまでディープインパクトという最高の素材に注いできた教育の質の高さを感じずにはいられなかった。
こういうsheerな結果が出てしまうと喧々囂々が跨っていた人間に集中していくのはある意味仕方がないことだと思う(エルコンドルパサーの時もすごかったよね…)。で、その展開・騎乗面なんだけど、今後ifを巡る想像は、武豊が仕掛けたタイミングと位置取りの前と後を巡って分岐していくと思う。逆に言うと一見中途半端に見える戦術だったことは確か。でも本当にそうか。例えばもっとゲートを緩く出ていつものスタイルに拘るべきだったという主張は、59.5kgの斤量とゴール前で足が上がっていたように見えた姿を思い出すとそれほど説得力があるとは思えない。Prideは最後方から来たとは言っても、あの馬、直線に向いても外に出さなかったよね。Rail Linkもぎりぎりまでディープの直後から出ようとしなかった。どんなペースであろうとインコーススリップストリームを利かせながら闘志をため、包まれるリスクを冒しつつ馬群を縫って抜け出してくるという、典型的な欧州スタイルで突っ込んできたわけで、残り800mの平均的な脚の速さが武器のディープにそれができたかどうか。じゃあフォルスストレートからロングスパートを仕掛けるべきだったか、というとそれはもう突拍子もないと思う。凱旋門賞のライバルはアドマイヤジャパンでもリンカーンでもナリタセンチュリーでもないのだし、Longchampの直線は京都競馬場スケートリンクのような直線ではないのだ。
でもう一方の可能性。今日の岡部さんの解説は、海外の大レースに挑む辛苦を知り尽くしたが故の暖かさに満ちた素晴らしいものだったけど、彼が思わず洩らした「まだっ、まだっ」の示唆に簡単に乗っかって、仕掛けが早すぎたと結論付けてしまうのもどうか。自分にはどうも安易な仮説のような気がしてしまう。武豊はある時点(多分1996年の日本ダービー)から岡部幸雄とは全く異なるスタイルを志向して頂点を極めていったわけで、それ以来彼が力のある馬にまたがった時に先行して最後だけちょろっと頭だけ出るという、悪く言えばケチな騎乗をすることはほとんどなくなった。逆に岡部幸雄は余分な力をできるだけ使わずに勝つという、良く言えば奥義のような騎乗でジャックルマロワ賞を勝ったのだけど。今回の凱旋門賞がもつ、最高の馬を最高の厩舎が鍛えて最高の騎手の手綱に任せて挑むという、日本競馬の集大成としての意味を考えれば(そう考えるとこんな幸福な挑戦は本当に日本競馬史上初のことだったのかもしれない)、騎手が培ってきた技の持ち味を生かしきるための選択としてあれより仕掛けを遅らせるというのはありえなかったと思う。抜群のスタート、かかることなく二番手で折り合って、当面のライバルのShiroccoを前に出しHurricane Runを内に閉じ込める。二分半の間に不利も受けずこれだけの手を打てたことは素直に称えたいと思う。
じゃあ結局実力が足りなかったということになるのだろうか…。でも自分にはRail Linkディープインパクトより強い馬だと言われてもそう簡単に飲み込めない。悔しさを抜きにしたとしても。今ふっとエアグルーヴサンライズフラッグに差された1998年の鳴尾記念を思い出した。エアグルーヴ牝馬ながら57kgを背負っていて馬場は不良だった。今年の馬場は良いとは伝えられていたけど時計は2分30秒以上かかっているわけで、結局斤量と馬場というのが敗因としては有力なのかなぁ。こんなのは今の気分のはけ口としては余りにも役不足な要因だけど。
妙に興奮して寝れなさそうだったからガス抜きがてらにまとめたメモということで。