菊花賞の枠順が決まる。ディープインパクトは4枠7番へ。
今週の各紙には、写真家、今井寿恵による皇帝シンボリルドルフとの比較論など、「無敗の」三冠馬、というところにフォーカスした記事が並んだ。武豊が追い切り後の記者会見で語ったといわれる「もうこういう馬には出会えないだろうから」という言葉。競馬振興のためのリップサービスに流れがちな彼の傾向を差し引いても、なかなか重い響きのある言葉である。たぶん彼はこういう言葉を選んで三冠前の厳粛な決意を表現することで、この菊花賞が、数年に一度のレベルではない、世紀のイベントであるということを、広い層に啓蒙しようとしているのだろう。だがその必要もないほどに、世間の熱は近年にないほどの高まりを見せている。これまで千年分の名馬に跨ってきたとも思える武豊が初めて三冠への挑戦権を手に入れた時、それまでどちらかというと地味な実力派であった岡部がルドルフで三冠を達成した時と同じ年齢になっていたという数奇。皇帝ルドルフと英雄ディープインパクトという並列は、スケールの観点からも、機微に富んだ符号としても、格好の対比であると思う。
だが、誰もそのことを思い出して語ってくれはしないけれど、この一週間僕がずっと思い出していたのは、ディープインパクトとは血統も騎手も脚質もまったく相反な軌跡をたどりながら、それでも同じ虚空の一点に向かっていたあの馬のことである。人にサイボークにように言われて決してバランスのよい身体ではなかったけれど、快晴の追い切り日、坂路を駆ける栗毛が夕日に融けんばかりの黄金色で世界一美しかったあの馬。もしあそこで、ペースを落とさなかったら…、彼も「無敗の」三冠馬の称号を得ていたかもしれない。でも不思議とあの時、その称号にこだわる空気はなかったような気がする。人知れぬ自分との戦い、そこに何があるか分からないけれど、そこを踏み外すことで全てが壊れてしまうのではないかという、恐れ、不安、葛藤。それが13年前あの人馬に強靭な走りを具現させ、虚空の一点を目指させたのだった。或いは11年前の、ルドルフを超えたと言われた三冠馬のこと。騎手の執念が名馬と名騎手を蹉跌させた98年のこと。
久しぶりに、熱さが、緑の芝生の上をわたってきた。思い出、面影、歓声のこだまを引き連れて。あの馬たちも、初めから色がついていたのではなかった。今の彼がどれだけ無色であるとしても、光もなく輝いているのでもない。
3日後の佳き日まで、英雄に照り映えるにぎやかな光の形を愉しみたいと思う。