「海に入るとはどういうことでしょうか」と先生が皆に訊ねた。目の前には雲ひとつ無い空があって、眼下は果てしない海だった。しかしこの胃が痛くなりそうなほどの海の青さはなんだろう。エーゲ海よりも、千尋の電車が走った海よりも何倍も深くて濃い。音は聞こえないが、大きな波濤がゆったりと打ち寄せてそこに巨岩が削りだされている。
僕はもうこれしかないと思い、だまってこの海を示して見せた。
「海に入るということは、ビーチで泳ぐこととは違います」
先生は何も分かっていないのだろうか?
ジュラとか白亜とか、僕らの知っている地質年代よりもはるかに昔から、この海はここにあって岩を削ってきた。そうでないと、こんな色も岩も決して現れ出ることはなかった。どんな死者もこの海を見つづけて飽きることはないだろう。地球にはこんな場所は無い。どこかの惑星の分厚い二酸化炭素の雲の中の、まだ誰も見たことのない海の青さにオリンポス山は永遠に洗われているだろう。
誰かが汚れた宝石箱から古いトパーズの鏡を僕に手渡した。表面は指でこすってもとりないほど白く曇っていたが、それを白い太陽にかざしてみると、角度によって眼下の海と同じ色に見えた。