The Sistine Madonna

desideriusm2005-02-08

エロスは現代ではもっぱら下半身(好色・性愛)の神であるが、そのローマ名であるキューピッドは、より精神的な愛(恋)の運命を司る使者であったし、プラトンまで遡ると、そこには知をも含む自分の中の欠落全般への愛という広がりが含まれていた。フロイトは、エロスのもつ広範な意味を掬い取り、人間を冥界(「死」の世界)へ連れ去るギリシャ神話の神タナトスと対置させて、エロスに人間の「生」への志向そのものを見ようとした。
ラファエロ・サンティ『サン・シストの聖母』の下方で、聖母子をイタズラっぽく見上げている2人の子供も、このエロス=キューピッドである。実際ラファエロほど、エロいマリアの像を描いた画家がいただろうか。彼は聖母に対して、あたかも好みの女へと向けるかのような視線を注いだ。容貌にも恵まれたラファエロの生涯は、女との愛に尽きなかったし、人柄の柔らかな彼はパトロンにも愛され、先輩たち(ダビンチ、ミケランジェロ、ブラマンテ)のいがみ合いからも距離を置いた。そして画風においても、日常生活の態度においても、彼らへの敬愛の念を惜しむことなく溢れさせた。
長く西洋美術の規範とされた『サン・シストの聖母』は、エロス=キューピッドの寵愛を一身に受けて天をも舞うようかのようである。聖母子が神の地上での現れであるように、彼の画業そのものが、プラトン・ローマ・フロイト的性格を具有するエロス神の行幸でもあったのだ。