平安時代の死刑停止

広く知られていることなのかどうか知らないが、日本では平安時代、死刑が行われていなかった。農村部での民間人によるリンチ・処刑のたぐいはいざ知らず、薬子の変藤原仲成が殺されてから(810年)、保元の乱源為義が殺されるまで(1156年)の346年間、少なくとも公の統治機関による死刑の記録は、一切残っていない。死罪という罪名こそあったものの、実際には律の変更によって死罪に当たる罪は流罪へと減刑されていたのである。これは世界史上類例を見ない、特筆すべき事態だった。なぜなら、世界が応報原理の直接的な行使を避け死刑廃止の道を歩き始めるまで、それから約十世紀の時間が必要だったからだ。
もしかすると、戦争を放棄し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しよう」という日本国憲法の理念も、十世紀後には、世界の潮流となっているのかもしれない。
当然、一見前衛的にすぎるこれらの事態を先例として生かしていくためには、死刑停止が当時、社会システムのどのような再生産によって(祟りを恐れる陰陽道の流布、政治的安定と国風文化の隆盛等々)維持されてきたか、また憲法制定時から60年、日本人がどのように戦争を克服し安全と生存を保持してきたか、を緻密に検証することが必要であろうと思う。