皐月賞横山典弘の騎乗は絶品だった。馬群で闘志を高めるタイプのアドマイヤジャパンにとって、大外16番枠は致命的なはずだった。それが好スタートを決めるとそこからするすると斜めに進路をとって、2コーナーから向正面に向かうときにはもう最内につけていた。しかも位置取りは5番手。スタート直後に躓いたディープインパクトに対してその時点でもう10馬身以上のリードを取っていた。にもかかわらず彼とアドマイヤジャパンは、また武ディープインパクトに叶わなかった。神技のようなサポートで確保したリードは、ゴール・ラインで逆に3馬身半のビハインドになっていた。レース後の横山のコメントには、騎乗で勝って馬に負けた騎手の悔しさと、それでもまだ次を諦めていないという苦渋の気持ちが表現されていた。内枠を活かしきった騎乗をしたとも思えない後藤が「最高の競馬だった」と自画自賛してみせたのと対照的な、久しぶりに聞く横山らしいコメントだった。
今年38才になった彼に、武豊への対抗心が残っていたと思うと勝手に嬉しくなってしまう。武豊が「ダンスインザダークに似ている」と言いほれ込んでいた馬がクラシックを総なめにしようとしていた時、「いつもいつも武豊ではつまらないでしょう」と言って3冠のうちの2冠を掠め取っていったのは彼が30才の年だった。
以来、馬の末脚を引き出す天性の才能と、緻密な戦略性にかけて、彼が関東でトップの地位を譲ったことはなかったし、いくつかの大舞台では実際に我々を驚かせる場面も作ってきた。が、イングランディーレにしてもツルマルボーイにしても、そこで表現されていたのは馬の力を最大限まで引き出してやって、それで勝てたら儲けもの、仮にだめでも仕方ないという、言わば諦観したいぶし銀の味であり、闇雲に勝負にこだわる勝負師の厳しさは薄くなっていたように思われる。思うに彼には、若手の頃から変わらないナイーブなまでの馬への愛着があって、これが言葉の端々に比較的素直に表れるところが彼の魅力にもなっているのだが、この優しさは同時に、馬と自分に過酷な勝負を強いる強さの欠如とも繋がっているような気もするのだ。彼から時おり無愛想に放たれる強気の発言が虚ろに響くことがあるのは、それが自分の弱さを隠すための強弁だからなのではないか。
たぶん元々彼は、武豊のように競馬界の中心から自力で英雄的な光を放ち続ける存在としては生まれてきてはいなかったのだ。でもだからこそ、8年ぶりに、武豊に凄い馬が回ってきたこんな年には、くすぶっていた対抗心に再び火をつけてほしいと思っていた。アンチでも反動でもいい。横山典弘には、武豊が輝くほどに対抗の炎を燃やす存在であってほしいと。
早くも一色に塗りこめられてしまいそうなクラシックに、この武豊-横山典弘という横糸が、何らかの彩りを添えてくれたなら。今年もまたあの年のように、僕にとって忘れられない一年になるだろうと思うのだ。